2014年6月24日火曜日

本気で遊ぶ


ご無沙汰になりました。

このブログを立ち上げて、気がつけば1年になります。

そう、きっかけは去年の6月のことでした。

とある方に、私がどうして豆が好きなのか、日本語教育を学んでいたのか、を話したときのこと。


“君が考えていることは発信していった方がいいよ。
10人に話したら8人が笑うかもしれない。
でも、2人が共感してくれたら、それでいいよ。やってごらん。”



そして立ち上げたのが、Facebookページとブログでした。
あのとき私は、「遊び」を形にするのに夢中でした。


それから数ヶ月経て、

またとある方に、
“51%を意識するといいよ。半分とほんの少しの人が賛同してくれたらそれでいい”

といわれたことがある。

10人に2人、つまり20%から、51%へ。

この時点では51%は心地の良い数字となりました。



そして、1年が経ちました。

気がつくと、遊びは一部、また一部と、職になりつつあります。


かけられる言葉はまた変わってきました。

10人中2人の共感じゃだめ!
多数決に勝てるようにしよう。
世の中少なくとも2割はアンチがでてくる。
100%の人に解ってもらうのは無理。
それでも、2割のアンチがいるくらいの内容をやろう。
趣味で、終わらせるんじゃ無いんだから。”



万人からの共感を得ることを目指すのなく、でも世の中を変えてやる、という意気込みを持て、ということでしょうか。


いま目指さなくてはいけないものは、
20%よりも、51%よりも、難しくてわかりずらいものになってきました。

でも、的を得ていて、私のこれまでを十二分に理解している人だからこそ、このタイミングに与えてくれた言葉なんだと思います。


できないことの方が多く、毎日、呆れる失敗ばかりですが、

学校を飛び出したのは、ある意味、選択に責任を負いながら、進むためでもありました。

敢えて正当化するならば、“とりあえす卒業”の方が無責任なんじゃないか、というのが持論です。

自由を求める一方で、無責任に生きることを目指している訳ではない。

少なくとも、関わってくれる人、手助けしてくれる人、支えてくれる人、道を正してくれる人、迷惑をかけている人に対して、無責任ではありたくない。

一年前までは、確かに無責任な遊びだったかもしれないけれど。

だけど、20%、51%、
そして、今、遊びに見える「職」だとしても、
ある種の責任を負う方向へ向かっている、進んでいると信じています。


なんともまあ、私の思考の整理にお付き合いいただいてる感じですが、ご一読、ありが豆ございます。
発信の場所もそろそろ見直そう。
2年目もよろしくお願いします。